丘の上 空



東京の空には電線がつきものだ



 ある日の新聞を広げている。窓があり、空が見える。真っ青の空間だ。美しい。ただ美しい。それ以上のことばは
出ない。目に見えるもので、最も美しいものは空だ。これほど美しいものはない。人類が見えるもの中で、空ほど
不可思議なものはない。空とは何だろう。どこまで行っても果てがないとは何だろう。空の前では、いや空の下で
は、人類は全く無力だ。何も分からないし、何もすることができない。触れることも掴むことも、考えることも。見え
るものの中で空ほど謎めいたものはない。何も分からない。何も示唆してくれない。子供のころから空が好きで、
一日中空を見ていたとを思い出す。
空を見ていると、歳をとらない。背が伸びない。皺が出来ない、こどものころから、そのようなことを考えていた。

 2月26日の新聞広告にカルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』NHK出版の広告が載っていた。当然のフレー
ズなのに少しばかりインパクトがあった。宇宙には時計など存在しない。時間というものも存在しない。そしてア
インシュタインの名を出すまでもなく、規則正しく一方へ進むものも存在しない。
それでは暮らしていけないので、人類は時計というものを考案してしまった。時間というものを設定してしまった。
そこから私たちの勘違いの生活が始まった。一年間のカレンダーをつくり、家庭の壁にかけ、それを目印にした
が、きちんとおさまらないので、閏年とかいって、調整している。歳をとるとは、時間が人体を通過することだとし
ている。全ての人類の身体を時は同じように通過していくのだと思っている。しかし、ひとの顔や心身が異なるよ
うに、時間の通り方も千差万別であろう。誰にも同じように速度も通り方も心身を通るものはない。速度もそれぞ
れ、曲がったりひっくり返ったり、休んだり、それはまちまちだ。









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